2012年05月20日

インセンティブ

 音楽とネットの関係というのはいろいろな問題があって、情報の伝達がミニマムなところから縦横無尽に可能になったということがまずプラスの面で大きい。ミュージシャンもリスナーも、これによるデメリットはきっとない。いや広く言えばあるにはあるのだが、受け得るメリットに較べると無いに等しい。一方で音楽を無料でゲットできるという状況が生まれたことは、メリットよりはデメリットの方が大きいと僕は思う。もちろん金を払う価値の無い有象無象の音楽だってあるし、そこに0円の値段を付けても何の問題もないじゃないかという意見もなるほどと思うが、だからといってステキな音楽も横並びで0円でいいという話にはならない。しかしテクノロジーは音楽もテキストもすべて情報として均質に扱い、内容の価値について評価せずにトラフィックさせる。だから、音楽的な価値がどのくらいなのかということは一切無視して、有象無象の音楽が0円で流通することが可能であれば、当然価値ある音楽も0円で流通するようになる。

 この状態で、能力あるミュージシャンが価値ある音楽を創る意味とは一体なんなんだろうか?

 先日、ベイスターズが「熱いぜチケット〜負けたら全額返金」という企画をやった。そのチケットの購入者は、試合後に納得しなかったら返金を要求できるというものだ。細かな数字は覚えていないが、かなりの人たちが返金を要求したという。ボロボロの負け試合ならともかく、3対1で快勝した試合で返金要求である。

 テレビで見るだけなら金はかからない。でも球場に行き、勝った試合を見せてもらったにもかかわらず、返金を要求する。何事だと呆れるが、おそらくそれは日本人の文化に対する平均的な価値観なのかもなと思った。

 ミュージシャンに戻る。都会であれば街角で歌っているストリートミュージシャンを見る機会も増えてきた。だが、彼らを取り巻いているのは固定のファンと思われる人たちで、それ以外の通行人はほとんど足を止めない。ストリートミュージシャンは歌って、次のライブの宣伝などをして、持参のCDを売ったりしている。そこに投げ銭を受け付ける箱のようなものはほとんどの場合で存在しない。

 なぜか?投げ銭などほとんど期待できないからである。

 「街で歌ってるヤツらなんかの歌にお金を払う価値なんてないよ」という声が聞こえてくるようだ。それは一面で当たっているが、一面では大きく間違っている。現状としてお金を払う価値がない人が価値の無い音楽を奏でているというのは、確かにそうだと思う。だから、その声は当たっているのだ。しかし、なぜ価値の無い人が価値の無い音楽を街角で奏でているのかというそもそもの原因に想いを寄せると、声は間違っているという結果になる。つまり、価値ある歌を街角で聴きたければ、価値あるものを正当に評価するという土壌を育成することが不可欠なのだ。良い音楽だったらお金を払う。投げ銭を入れる。それも財布に残った1円ではなく、音楽の価値によっては千円札を入れる。そんな状況が当たり前になったら、ミュージシャンはそれを期待して、街を歩く人が心地良くなるような音楽を演奏するようになるだろう。そこに競争が生まれれば、より通行人にとって価値のある音楽が街を包むようになるだろう。そうすると「街で歌ってるヤツらなんかの歌には、お金を払う価値があるよ」ということになってくる。つまり、ニワトリが先かタマゴが先かという問題と似ていて、鶏も飼わないのにタマゴを期待するのは間違いであって、タマゴが欲しけりゃ鶏を買ってエサを与えることがどうしても必要になるのだ。だが、今のストリートミュージシャン界隈に於いては、エサも与えない鶏がタマゴを産まないことに対して腹を立てるような状況になっていると言えるのだ。

 「だって街で歌ってるヤツの歌はタダだろう? 入場料が要る会場ならともかく、勝手に歌ってるやつにお金を払うなんてアホだろ」という声が今度は聞こえてくるぞ。いやいや、海外に行ってみると判るが、NYでもパリでも、街角で音楽を奏でているミュージシャンは沢山いて、彼らの前には投げ銭箱が置かれていて、普通の人たちが次々にお金を入れていく。ダメな音楽に対しては恐ろしく冷酷だが、良い音楽にはお札が次々と入っていく。これは何なんだろうと、最初見た時はある意味カルチャーショックだった。しかし、今になって思うとそれが良い循環だったのだ。ストリートミュージシャンが奏でる音はとても心地良かった。旅先での音だったからということもあるだろう。しかし冷静に考えても、普通に聴いていて心地良かったのだ。そしてミュージシャンは1曲演奏が終わる度に少しばかり話をして、お金を入れてくれという訴えをする。それに対して人々が次々に応えてお金を投じる。

 思うに、海外にはチップの習慣がある。サービスに対して満足したらお金を払う。サービスはけっしてタダじゃないんだということが身に付いているのだろう。日本人が旅行すると、レストランではチップを払うものだと思い込んでいて、料理代の15%という数字だけで金額を決めるが、別にサービスの質を判断してるのではなくガイドブックのルールに従っているだけである。しかし本当は素晴らしいサービスのウェイターには20%払っても良いのだし、ダメサービスだったら払わなくたっていい。だからウェイターやウェイトレスはお客さんのために頑張ってサービスしてくれるのだ。彼らの収入、基本給は比較的低い。しかしチップをもらえるから、最終的には高収入につながる。料理人以上に人気の職業なのだ。仮にお店自体が流行ってなければ、当然チップも増えない。だからどうやって集客しようかというところにも心を砕く。ストリートミュージシャンもそう。通行人が足を止めなければお金も入れてもらえないし、止めてもらえても演奏に感動してもらえなければお金は入れてもらえない。だから、お客さんのためにどうすれば良いのかを考えて練習もするし構成も考える。それで生活できる収入を得ている人も少なくないだろう。だとしたら、彼らはプロのミュージシャンといってもいいのかもしれない。

 一方日本はどうだ。レストランのウェイターをやってもチップはもらえない。当然時給で働くことになる。サービスの質を良くしなくても、お店が流行ってなくても、決められた時間だけ行って働けばお金になる。だからプロだ。でも本当にプロか? プロの仕事をしていると言えるのか? もちろん誇りを持って全力でやっている人がほとんどだろう。しかし仕組みとしてはプロを生み出す形にはなっていない。お客もサービスの質を見抜く目が養えない。

 そういう社会的な違いがある中で、ストリートミュージシャンは今日も街角で歌っている。しかし、通行人が投げ銭を入れるという習慣がないから、ミュージシャンも通行人を喜ばせようという思いが少なく、自分の音楽活動の宣伝的な歌を歌うことになる。ある意味の押しつけだ。押しつけだから通行人も通り過ぎる。悪循環に陥っている。

 さて、やっと本題に入るぞ。

 ネットの普及がミュージシャンの収益体制を覆しつつある。音楽はCDで買うものという常識から、音楽はタダで手に入れるものという常識に移りつつあるように思う。それを喜ぶ人も多いだろう。だが、それは結局ミュージシャンを苦しめ、音楽から撤退させる。撤退しなくとも音楽だけに才能や時間を使うことが難しくなり、結果としてその人の才能の半分以上を生活費稼ぎの別の仕事に浪費させることになる。それでリスナーはいいのだろうか。結果として才能をしゃぶり尽くすことが出来なくなる。個々には恵まれた環境で音楽に専念できる人も出てくるだろう。しかし全体として音楽に対して支払われる金額が減れば、ミュージシャンは総じて貧しくなる。それでどうして音楽に人生を捧げようという気になるというのか。

 スポーツなら海外に行ける。言葉が要らないから、速い球を投げたり、遠くに打ったり、上手く蹴られる人なら世界で活躍できる。日本よりも稼げるなら行けばいい。だが日本語をベースにした文化としての音楽をやっている人は、そう簡単には出ていけない。日本のリスナーがすべてである。

 韓国では日本以上にデジタル化が進み、CDショップは数年前に日本よりも早く街から消えたという。そして違法ダウンロードがまかり通っているという。物価や所得、人口も日本とは比較できない韓国で、ミュージシャンはどうしたかというと、韓流と称して日本にやってきた。元々は韓国語で歌われていた歌に日本語の歌詞をあて、歌って踊って大人気だ。彼らは韓国で稼ぐことに見切りを付け、日本市場で稼ごうとしたのだろう。当然だ。そして日本で稼いで力をつけた彼らの一部はアメリカにも進出しようとしている。そこで成功するのかどうかは別として、アグレッシブだなと正直思う。だが、韓国のリスナーたちはどういう思いだろうか。いいなと思ったアーチストはすぐに韓国を離れ、別の言語で歌うようになる。それが韓国の人たちにとって嬉しいことなのだろうか。僕にはそうは思えない。もしも日本のアーチストたちが日本での活動に見切りをつけて欧米に活動の場を移したらどうだろうか。ダルビッシュがメジャーリーグで投げているのを見て喜ぶように、アメリカで活動するアーチストを日本の誇りとでも呼ぶのだろうか。だが考えてもみてくれ。それは彼らが日本のマーケットに見切りをつけた結果なのである。つまり、我々の音楽に対する評価のあり方が、彼らをそのように追い込むということなのだ。

 それは音楽だけに限ったことではないだろうが、人はお金のある方に流れる。食えないより食えた方がいい。安定的に食えることが保証された方が、創作活動には専念できるし、その結果いい創作が生み出される可能性も高まる。結果的にすぐれた創作物を楽しめるリスナーの得になる。

 もちろん個別にどうあるべきかということと、全体にどうあるべきなのかということは別の問題だ。あるアーチストについて気に入らなければ、そんなアーチストにお金を支払う必要などはない。それは、サービスの悪いウェイターになどチップを払う必要がないのと同じである。しかし、いい音楽を生み出しているアーチストには積極的にお金を払うことを常識として持ち、何らかの形で受けた感動を制作者に還元していこうとすれば、僕らはもっともっと豊かな音楽を享受し、楽しい音楽ライフを送れるようになるんじゃないかと思う。例えば、毎年3枚はCDを買おうとか、街で歌ってるシンガーがいたら100円でいいから投げ銭するとか、ときどきぶらりとライブハウスにいってみるとか、なんでもいい。その対象がどんなアーチストでも構わない。1億人が何らかの形で、昨年よりも2000円多めに音楽に払うようになったとしたら、確実に音楽関係者は少しずつ潤うようになるし、そんな巨大マーケットのためになる音楽をどんどん生み出していくようになると思うのだ。そうなれば、K-POPに席巻されるような事態にはならないんじゃないかと、そんな風に思う。チャートを嵐とAKBと韓流が占めている現実を嘆く人も多いが、それは、嘆いている自称音楽ファンたちは、それだけ音楽にお金を使っていないということに他ならない。お金も払わずに嘆いてんじゃないよと、僕は言いたい。ミュージシャンにも金銭的なインセンティブは必要なのだ。彼らに「武士は食わねど高楊枝」を強要している場合ではないのだ。

 少なくとも、ネットからいかに無料で音楽をゲットするのかに血道をあげているようでは、結局は無料で価値の無い音楽のような雑音しかゲットできなくなるということを、多くの人は理解しなければいけないと思う。もちろん、音楽そのものに感動もしないし価値も無いと断言する人にまでお金を出せと強要するつもりなどはさらさらない。そういう人は、きっとネットから無料で音楽をゲットするようなこともないのだろうから。
posted by キラキラ大島 at 23:38| 京都 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

祭り

 雨のため1日順延になった葵祭が、本日京都で開催された。

 京都の三大祭りのひとつに数えられていながら、GWからもずれるうえに、曜日に関係なく15日開催が基本なので、東京に住んでいた頃には生涯見ることのない祭りなんじゃないだろうかと、強い憧れをもっていた、それが葵祭だ。しかし昨年京都に移住して以来、葵祭は身近なものになる。昨年は偶然日曜日に重なったが、今日は普通の水曜日で、あろうことか会社から徒歩2分の道を通る。昼飯前に近くを散歩するくらいの感覚で見に行ける。ああ、人生は不思議なものだなとつくづく思う。

 まあお祭り自体は大いなる平安絵巻的仮装行列ということであって、雅の風流を除けば少しばかり退屈でもある。しかし退屈なんて言ったらバチが当たるな。一昨年までは生涯見ることのないものとして憧憬の対象だったのだから。まあ本当に退屈だと思っていたら、今日だって見に行きやしない。僕はおそらく来年も再来年も見に行くだろう。丸太町通りで見るのではなく、下鴨神社糺の森で見たり、上賀茂神社まで遠征したりもするだろう。今日も少しばかり京都御所の中まで入って見たら、昨年の丸太町で見た行列とはまた違った趣だった。場所で印象が変わるのも面白い。来年からもきっと面白いはずだ。

 で、行列の中心には斎王代という、十二単を纏ったお姫様がいるのだが、毎年京都の女性が選ばれて斎王代の役目を果たす。今年は会社員の女性が選ばれたということだったが、老舗和装小売店の社長の娘ということで、まあお嬢だ。いや、それがうらやましいということではない。100%まったくうらやましくないかといえば難しいところだが、妬むような気持ちなどはまったくないし、お姫様役はお嬢様育ちの女性がやはり似合うだろうと思う。で、斎王代はそれとして、その他にも沢山の人たちが平安装束に身を包んで行列は行なわれる。馬に乗る女性も、歩くだけの女性も、馬を引く男性も馬に乗る男性も、荷物を運ぶ男性も、老若男女問わず沢山の人たちがその行列に参加しているのだ。あれは、一体どういう人たちなんだろうと、素朴に思った。

 僕は昨年から京都に引越してきて、1年経ったもののまだまだ他所者だと思う。自分でもそう思う。だが、東京にいた時にどうだったのだろう。早稲田通りにカフェを構えて、ずっと営業してきた間も、地元の青年会的なところからお誘いを受けたことがなかった。いつも行っている定食屋のオッサンがその会長だということは知っていた。僕は学生時代からその店の常連だったし、道ですれ違えば挨拶もする。だが、お神輿の時も火の用心の夜回りの時も、僕に声など一切かからない。いや、神輿も担ぎたくないし、夜回りもしたくない。だって面倒だもの。でも、「参加するかい」と声がかかって、そこで「やりません」と断るのならともかく、一度も声がかからないとはどういうことなんだろうってずっと思っていた。怪しい店だったから声もかけにくいということだったのだろうか。でも、おそらくその青年会が地元の小学校から一緒の人間関係をベースに成立しているんだろうなと、僕は思っている。それならなかなか他所者は受け入れられないだろうなと。26年東京に暮らし、その地に店を構えて8年間、店閉店後もオフィスとして利用していたから11年間は通りの路面のテナントでやっていたのに、それでもやはりその通りでは他所者だったんだろうなと思う。それが良いとか悪いとかではなくて、現実としてそうだったと。

 僕の兄は父の眼鏡屋を継ぎ、今も生まれ故郷で頑張っている。そのためか、周囲は知人だらけで、山笠にももう20年程参加しているし、ちょっと前は小学校のPTA会長もやった。地元の名士というには年齢も商売もまだまだかもしれないが、少なくとも他所者ではない。兄が他所者だとしたら、地元の人なんていないだろうというくらいだ。

 東京にいる頃は町内の他所者であっても友人はたくさんいた。だが、京都に移ってきてからは基本的に夫婦だけだ。お店をやるでもないので、地域に知り合いなどほとんど増えない。そのことを悲しんでいるわけではない。だが、祭りに参加している人たちを観光客と一緒に眺めていて、僕の立ち位置は何なんだろうと考えてみたのだ。

 考えてみれば東京での生活が僕の人生の中でもっとも長い。なのに、京都に移った途端にそこは自分のルーツなどはまったくなかったということに気がつく。遠くの、栄えている街でしかない。今ももし帰る場所があるとすれば、それは東京ではなくて福岡なんだろうと今は思う。ただ、福岡に帰ることはまずないので、だから、今いる京都をそういう場所にしていくべきなのだろう。でも東京で26年かけてそれが出来なかったわけで、京都でそんなことが出来るのだろうか。はなはだ心許ない。

 しかし、もう来月にも生まれる我が子にとっては、この京都が生まれ故郷になるのだ。ここで育ち、ここで友を作る。彼のルーツはここになる。だとしたら、子育てをする中で、僕も否応無しにこの場所に組み込まれていくんじゃないだろうかという気もしている。子はかすがいだとよく言ったもので、それは通常は夫婦の絆を強くするという意味に使われるのだが、僕は今、子供が僕ら夫婦をこの京都という場所につなぎ止めてくれるかすがいになるような気がしている。そうなったらいいとか、よくないとかそういう僕の意思とは無関係に、僕はこの街に根を下ろしていくのかもしれない。

 そしてこの街のお祭りにも参加するような、そんな未来もあるのかもしれない。まあ僕が今から斎王代になるのは100%不可能ではあるが、祇園祭の鉾の引き手くらいにはなる可能性もゼロではないかもしれない。
posted by キラキラ大島 at 18:41| 京都 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

小沢氏と政治

 今日、陸山会事件の裁判に無罪判決が出た。なにはともあれ良かったと思う。これで有罪が出ていたら、日本の司法は完全に信用を失っていただろう。

 これから、小沢氏がどのような政治行動に出るのか。そしてそれを阻止したいと考えている人たちがどのような行動に出るのか。見ものだと思う。目の前にある課題としては消費税増税論議だろう。この攻防は一体どうなるのだろうか。

 で、今日そういう感じのことをツイッターでつぶやいたら、いくつか質問を受けた。140字以内ではなかなか答えられないので、僕なりの思いをここで書いてみたいと思う。あくまで素人の考えなので、ツッコミどころは満載だろうし、そもそも政治の動きというのは机上の空論ではないので、そう論理的になどいかないのも事実だとは思っている。

 現状で消費税を増税しようとしていることは、僕には理解出来ない。日本に金が足りないから増税は必要なのだろう。しかし、普通は出るを制して入るを計るのが当然だ。しかし増税を言い出した菅野田政権下での出るを制するにあたる動きがほとんど見られない。さらには国家ビジョンについて語られたことが無い。これで増税だけやると言われても、どう納得しろというのか。

 小沢一郎は、国民の生活が第一を掲げて衆院選で勝った。だからその時の国民との約束に基づいて、今の増税論議には反対の立場を示している。そのことをつぶやいたら、「小沢氏が増税論議をぶち上げたときも景気は悪かった」という指摘をされた。もちろんそうだ。あれは1993年の出来事で、1991年あたりからバブル崩壊は始まり、景気が落ちていっている真っ最中だったと言ってもいい。そこで国民福祉税を創設するという感覚と、今の不況下で消費税を上げるという感覚のどこに違いがあるのか。そこを問われたのだと思う。いい指摘だ。

 それに対する僕の考えはこうだ。まず、国の在り様というものは国民が決める。良かろうと悪かろうと、決めた国民が責任を負う。仕方ないよ、選択を誤ったら不幸になる。それは仕方ないことだ。だから僕らはもっともっと賢くなる必要があるし、賢くなれなければ、愚民として没落するのだ。歴史は常にそれの繰り返しであって、永続する国家などはないと思う。

 しかし、もし国民が決められないとしたらどうだろう。国民の選択ではない、誰かの賢い人の選択によって、成功すればいいよ。しかし失敗して国が落ちぶれた時、その時に襲ってくる不幸は誰のせいなのだ。国民の選択によって訪れる不幸と、国民以外の選択によって訪れる不幸は雲泥の差だろう。そんなものを甘んじて受けなければいけない理由など、一応建前として民主主義国家である日本には存在しないと僕は考える。

 1993年の国民福祉税構想が発表されたときの政治の流れをおさらいしたい。小沢羽田グループが自民党を飛び出し、選挙が行なわれて、日本新党やさきがけ、社会党などなどと共に連立与党が成立した。そこでやったのが小選挙区制だ。当時の中選挙区制では、ひとつの選挙区に4〜5人の当選者が出る仕組みだった。自分の選挙区で「あいつの言っていることはおかしい。交代させるべき」と思っても、5人区で5位に入れば当選なのだ。自民党が長年与党で地盤を固めている中では、政権の交替は実質上不可能に近かった。だから、小選挙区制にして、トップ当選をしなければ落選するという仕組みに変えることによって、国民の選択を鮮明にするというのが、小選挙区制を導入すべき大きな理由であった。問題は当時の与党がみな過半数など持っていない政党だったため、完全小選挙区になれば自らの党の存亡にも関わるということで、結局比例並立を導入したため、同じ選挙区から2人当選する事態が多数起こって、国民の選択も曖昧になったものの、中選挙区制に較べれば進歩である。政治が国民を裏切れば落選させるということが可能になってきた。この政治改革が、まずあったのだということを、覚えておかなければならない。

 自民党時代に消費税は2度導入された。その後の選挙で自民党は大敗である。しかし、大敗とはいえ与党の座から落ちることはなかった。大敗しても政権は守られる。これが中選挙区だ。一方小選挙区では、比例並立のため曖昧だとはいえ、政権交替の可能性は大きく膨らんだ。だから、衆院選ごとに政権が交替することがあり得るし、だから国民が何かを選択することができ、そのことを政治も重く見る必要が出てきているんだと思う。つまり、増税をするというのは次の選挙で負ける可能性があるということだ。その可能性を作ったのは、小沢一郎たちだといっていいだろう。国民が選択出来るような政治改革を訴えて当選し、選挙の時の約束を果たして、小選挙区制度導入を実現して政権交代の可能性を作った上で、国民福祉税を問うたのである。約束をして、約束に沿った改革がまずあって、その後に増税を持ち出した。その流れが大切なのだと僕は思う。

 一方野田内閣はどうなのだ。国民との約束は、消費税は上げないというものだった。自民党政権時に歪んだ政治改革をするというものだった。それに期待して、民主党は勝って政権を取った。しかし約束をほとんど反古にして、何の改革もせずに、選挙の時のリーダーを脇に追いやって、予算を膨らませ、そして増税に政治生命をかけると言っている。せっかく国民が政治を、そしてこの国の未来を選択出来るシステムが出来たにも関わらず、そしてそのシステムの中で意思表示をしたにも関わらず、その意思表示そのものを無視して突き進もうとする。その政治選択に国民は関与しているのか?関与もしていない国の方針によって、仮に不幸が訪れたとしたら、その責任は国民が負う必要があるのか?野田内閣の責任者たちが私財を担保にその政策を推し進める覚悟でもあるのか?その点が問われるべきなんだと、僕は思う。

 だが、その答えはすでに出ている。原発事故の後処理を見れば、国の政策が失敗をした時に誰が被害を受けるのか。健康にただちに被害はありませんと言い続けた内閣だ。そして被害者が多数いて困窮しているにも関わらず、原発を再稼働させようと必死になっている。衆院選挙で約束したことを反古にし、参院選で大敗してねじれになった元凶とも言える政策を推進に躍起になっている。国民の意思などまったく無視の政権なのだ。ここになんの未来を委ねられようか。

 長くなった。まあいつも僕のブログは長過ぎるのだが。要するに、選挙では「この国をどう変えて良くするのだ」というプランを説き、支持をもらって政策実行の基盤を与えられた政治家や政党が約束を実行する。これが民主主義の基本だと僕は思う。もちろん政治は1イシューではない。だから、当然そのときどきの状況に応じながら、問うていない問題についても決断をする必要があるだろう。それも、選挙時の約束を実行しての話だ。小泉政権が人気を維持したもの、郵政改革については結局断行したからだ。その政策が良いか悪いかは後世の人にしか判断出来ないだろう。だが、少なくとも選挙で「これをやるべし」という国民の意思が示されたのであれば、それをやるのは政治家の第一歩だろう。それが出来ていない状態で、新しい決断などをする資格などはない。政治生命をかけるとまで言う政策だ。しかもそれは自分が当選した選挙では真逆のことを言っていたのだ。だったら、解散総選挙をする以外に実行する資格などなかろう。
posted by キラキラ大島 at 17:26| 京都 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

すみれ

 僕はインディーズレーベルのプロデューサーだが、ここで自社アーチストのことを書くのは結構稀だ。

 一般的にはアーチストのことを褒めて、ガンガン宣伝すればいいのだろう。僕もそう思う。だが、それはちょっと躊躇するというのが偽らざる気持ちだ。そのことについて、今日はちょっと話してみたい。

 まず、インディーズレーベルの仕事とは何かということである。昔はメジャーレーベルしかなかった。だからそこからレコードを出せるアーチストもごくごく限られた。もっともその当時にアーチストという呼び方が正しいのかはさておきだ。限られたレコード歌手たちは、それなりのセレクションにかけられて、最初からかなりのクオリティを持った人たちだった。そういう人のレコードしか世の中には存在せず、だからリスナーもそれなりのクオリティを担保された商品を買うことができた。

 だが、それで本当に間違いがないのかという疑問もある。出ていく人がそれなりの力を持っていることはかなりの確率で正しくとも、逆に出せずにいる人には力がないのかということがあって、一概にそれを肯定など出来ないのが当時の現状だった。1980年代後半、少しではあるがインディーズレーベルというものが出てきた。流通の手段は西新宿とライブハウスだ。全国の普通の人たちは、そんなものを買うことはおろか、知ることさえ難しかった。しかしそういう中でナゴムやキャプテンといったレーベルがヒットを出し始めた。RCサクセションが原発問題に絡んでカバーズを発売中止になった時期だ。徐々にアンダーグラウンドな活動に注目が集まり始める。で、バンドブーム。REBECCAにBOOWYに、ハウンドドッグが武道館15日間連続なんてことも実現した。そういう大きな舞台でのバンドの盛上がりと同時に、ホコ天も盛上がった。ジュンスカやPOGO、KUSUKUSUなどが全国的な人気を博した。そしてやってきたイカ天ブーム。TBSの番組からはたまにマルコシアスバンプ、ブランキーにFLYING KIDS。彼らはそれまで見向きもしなかったメジャーレーベルに青田買いされていった。華々しいデビュー。しかしそれはバブルのようなもので、熱気が冷めるのも早かった。デビューしたイカ天バンドは次々にクビを切られ、活動の場を失っていく。

 僕がビクターを辞め、キラキラレコードを立ち上げたのはそういう時期だ。僕はビクターに入って陽の当たらない実力バンドを世に紹介したいと思っていた。しかし簡単にディレクターになれるほど甘くはなく、エリアでのショップ営業や、地道な宣伝活動を積み重ねる日々。一方でディレクターたちがイカ天バンドたちの個性を引き出せずに潰していっているのを横目で見ていた。もうこういうことを続けててはいけないと、思った。

 アーチストと一言にいうが、それは必ずしも一様な存在ではない。100組アーチストがいれば、市場的価値も音楽的価値も、本人の姿勢もすべて違う。音楽だけで豪勢な暮らしをするものも、バイトで食いつなぎながら僅かな収入をスタジオ代につぎ込むものもいる。それは悪いことではない。それぞれがそれぞれの実力や現状に応じて、個々のレベルアップに努力している。メジャーで活動出来る人は良いが、それだけではなくて、むしろ氷山の一角の下には、頭角を現せない多くの無名ミュージシャンがいる。プロ野球選手の下には社会人や高校野球、リトルリーグがあるように。J1の下にはJ2やJ3があるように。トップアーチストの下には無名の有象無象が存在しているのだ。

 では、そういう無名アーチストをどうやって次のステージにステップアップさせるのか。スポーツなら、実力は明瞭だ。しかし音楽に明確な基準はない。方法は2つだ。権威的な、例えばメジャーのプロデューサーが選別するというもの。かつてのメジャーデビューというのはほぼそれだ。しかしそれだけでは公平ではない。一部の人たちの好みや恣意によってアーチストの将来が決まる。もちろんそれはある程度の指針を出し得るだろうが、そこから漏れるものが必ず出てくる。

 だから、一般のリスナーからの支持を集めることで、対外的な評価とするという方法論が生まれてくるのだ。メジャーからは声かからなくても、多くのファンが支持をして、ライブも満員、CDも売れる。であれば、メジャーである必要などはまったくない。インディーズでもやっていける。そしてインディーズで結果を出せば、メジャーからも声がかかる。この方がよほど健全である。そのためには、メジャーでは出せないアーチストの音源をリリースするインディーズレーベルが必要になる。それが、キラキラレコードをスタートさせ、ビクターを辞めてまで取り組もうとした意味である。

 話が長くなった。これはまだ前段だ。しかも、まだ続く。

 キラキラレコードを運営してきて、僕は本当に様々なアーチストに出会った。そしてCDを出し続けてきた。彼らのほとんどは、将来の保証も無く、だから常に自分の活動に対する絶対的な自信を持ち得ない。売れなかったらいつ止めればいいのか。積極的にそうは思っていなくても、心のどこかで必ず持っている、自分の潮時を。スポーツなら、高校の野球部でものすごい選手に出会ったら、自分の限界を知ることが出来る。それはハッキリしていて、時に残酷ではあるが、明快であるから優しいともいえる。音楽の場合は、芸術性と商業的価値は必ずしも一致しない。自分よりカッコ悪いあいつがあんなに人気あって、オレはカッコいいのに人気がないというケースは非常に多い。少なくともやってる本人の心の中ではそうだ。そう思えないと続けてなどいけない。だが、そう思ってしまうからこそ、やめるタイミングを見誤る。だからずるずるとやり続けて、少しファンが出来たらそこにしがみついて、ある日、止め時を見失っている自分に気付く。

 それでも、彼らには頑張る権利はあるのだ。自分の頑張りで、自分が創っている音楽が素晴らしいのだと、世の中に認めさせ、自分自身が納得したい。そのためにずっとやり続ける権利は誰にでもある。周囲のほぼ全員が見向きもしなかったり、罵声を浴びせたとしても、自分自身が唯一人自分を信じる権利はある。そして、評価の基準はひとつではないのだ。

 僕はそういう彼らと接する時、その信念が強いものが最後に勝つと言っている。自分の評価基準で自分自身を認められるのであれば、自分自身のために努力をすることも厭わないだろうし、それで成長するだろうし、CDやチケットの売上げが、経済的にも実績的にも必要なのだと理解すれば、売ることにだって必死になれるだろう。なぜなら、自分の音楽には価値があるのだ。価値あるものを売り込むのになんの躊躇があろうか。躊躇するとすれば、それは自分の音楽に自分自身で価値を見いだせず、クズを正規の料金で売ろうとしているという負い目があるからだ。

 とはいえ、人はそんなに強くない。長く音楽を続けていて、友人たちが家庭を持ったり普通の幸せをつかんでいるのを見て、自分はこれで良いのかと悩む。周囲からいつまでやっているんだと言われれば悩む。

 でも、リスナーに取ってはそんな事情はまったく関係ない。メジャーの100万枚アーチストも、インディーズのペーペーもCDはCDだ。ほとんど同じ料金を取る以上それなりの期待をして当然だ。そして期待とは、そのアーチストが一発屋で終わらないということも含んでいる。音楽を評価するというのは、ただ単に自分だけが評価していれば良いというものではない。自分が評価しても他人が一切評価しないということになると、自分の判断は間違っているんじゃないかという気持ちになる。そう思わないで自分の評価を信じられる人というのは、強い人だ。だが大半は、自分がいいと思ったものが本当にいいかどうかについて、それを他人も評価しているということで確認する。売れていない頃から応援していたアーチストが売れたら嬉しい。売れたら多くの人たちのスターになるわけで、自分からの距離は遠くなる。それなのに嬉しくなるのは、自分の評価が間違っていなかったことを確認出来るからだ。

 僕は、そういう確認を、CDを買ってくれた人にも味わってもらいたいと思っている。レーベルだからアーチストも大事だが、なんといってもリスナーが大事だ。そのリスナーを裏切るようなことは出来るだけしたくない。だから、リリースするCDをすべて「すごいぞ」といってこのブログで書いたりはしないのだ。

 では、ブログで書かないアーチストのことを評価していないのか。それは、違う。どのアーチストも僕にとっては大切で、かけがえの無い存在だ。しかし、それはべた褒めする対象とイコールではない。音楽市場での趣味指向性の多様化というものもある。だが、同時にこのアーチスト現状でどのような状況にあるのかということが、僕にとっては大きいのである。

 高校野球の監督さんみたいな感覚なんじゃないかなという気もしている。ベンチ入り出来るのが15人と決まっていて、部員は100名いたら、全員を等しく扱うことは不可能である。3年間一度も試合に出られない選手もたくさんいるだろう。だからといって、もう入部するなよお前、ムダだぞと言うのは間違いだ。現状で力のない球児も、努力する権利はあるのだ。毎日走って、毎日素振りして、そして練習試合で結果を出せばとみんな思っている。思わないなら辞めればいい。だが、続ける意思があるなら、努力する権利は誰にだってある。レーベルも同じだ。それぞれがどういう位置なのか。全員に頑張ってほしい。頑張った結果、CDが1枚でも多く売れ、ライブの動員が1人でも多くなり、その結果大きな会場で演奏出来るようになってほしい。

 つまり、それぞれがそれぞれの状況の中で頑張っているのだ。もしもプロのスカウトがやってきて、次のドラフトに賭けるべき選手は誰なんだと言われれば、そこで名前を挙げられる選手は限られる。でも、そこで名前の挙がらない選手だって、頑張っているなら、それを応援するのが監督であり、レーベルなんじゃないかと思っている。監督は甲子園のベンチに全員を入れることは出来ない。だがレーベルは全員にCDをリリースさせることが出来る。そこは大きな違いだと思っている。リリースしなければ始まらないが、リリースすれば始まるのだ。頑張ることが出来るのだ。そのことが大きいし、大切だと僕は思っている。だが、その理屈をリスナーに押し付けるのはやはり間違いだと思っている。リスナーにはリスナーの立場があり、もしもその無名のバンドのCDを買わなければ、もっと安定的に活動が続いていくメジャーのバンドのCDを買うことが出来る。そことの比較をするのだ。その上でなお、普通のリスナーに勧めるというのは、とても高いハードルだと思う。だから、このブログではなかなかアーチストのことについて触れたりしない。なかなか触れられないのだ。




 で、いよいよ本題。今日のブログのタイトルは「すみれ」だ。これは今月リリースする新人バンドstunning under dogのミニアルバムのタイトルでもある。彼らは京都で活動している4人組で、これが正式なアルバムとしては1枚目になる。リリースする現在は意気込みも高く、だからやる気満々だが、それが今後どのくらい続くかはまったくわからない。それは彼らがどうだというのではなくて、一般的な話。バンドマンはリリース時にはとても意欲的で活動的なのだが、周囲の知人にCDを売って一通り行き渡ったら、売上げのペースががくんと落ちて、その結果やる気を失う、というか普通に戻ることがほとんどなのである。そこでさらに踏ん張ると、これまで自分たちのことを知らなかった人たちへ伝えていくプロセスが始まるのだが、なかなかそのプロセスに突き進んでいかない。進んでいかないと状況はまったく変わらないのであって、だから売れる波に乗っていけない。そうすると今後の活動がどかんと盛上がる可能性も低く、リスナーに「応援してて良かった。自分の感覚は間違っていなかった」という思いを味わってもらえない可能性が高い。となると、なかなか僕も推薦しにくいということになる。新人バンドのプッシュをするかどうかは、その辺を見極める必要がどうしてもあるのだ。

 だが、今回のstunning under dogの「すみれ」。これは良い。6曲入りなのだが、それぞれの曲がドラマになっていて、深い。人生を感じさせる。しかも比喩が直喩ではなく暗喩が多用され、文学としても個人的に高評価である。暗喩と言いつつ、表現はとてもストレートで、それは言葉上のストレートではなくて、感情がストレートで露わなのだ。愛って、こんな表現がもっともふさわしいとさえ思った。僕の言葉ではなかなかそれを伝えることは出来ない。でも、いいのは確実だ。

 最近のアーチストではamazarashiというバンドを知ったときと似た衝撃だった。それなりに人気はあるものの、amazarashi自体知らない人も多いだろう。YouTubeの動画をひとつ紹介する。



 普通の愛だの恋だの惚れた腫れたとかではなくて、なんか、腹の奥底にズドンとハンマーが突き刺さったような、そんな印象を与えてくれる、というか、押し付けるような、そんな強力な印象。こういうのを歌詞だけ抜き取って読んでみせても多分違うのだ。それが文学と音楽の違いで、音楽であらねばならないような、音楽である必然性をもった歌というのは意外に少ない。だが、amazarashiにはそれがある。アルバムを聴いて、嫌になったり苦しくなったりするかもしれない。だが、忘れられないし、聴き流せない。無視することなど不可能だ。そんな強烈な力を持った音楽を展開している。そんなバンド。

 それと一緒にするのはamazarashiに対して失礼だ。だが、同時に一緒にされたらstunning under dogも迷惑だ。似ているが、まったく違う。イチローと松井はまったく違うバッターだが、共にすごい。そういう感覚。いや、そこまでいうとamazarashiもstunning under dogもなんか違うかもしれないが、聴いていて「すごいな」と思わされるのはそうそうない。と、思ってもらえれば幸いだ。僕の表現力不足で大変申し訳ない。

 というわけで、レーベルからリリースする新人バンドのことを紹介するのは異例中の異例だと思ってもらえれば幸いだ。上のジャケットをクリックするとキラキラレコードのページに飛んでいくことになっている。そこに6曲全部について各30秒程の試聴がある。それを聴いてもらえればと思う。そしてちょっとだけ冒険してもいいかなと思ってもらえるのなら、是非とも買ってください。それが、このバンドが「俺たちこのままずっと続けてて大丈夫なんだろうか」とか悩まずに済み、音楽に邁進するエネルギーになります。あなたの応援がこのバンドの後押しをするとして、それに相応しいのかどうかを、是非とも判断してもらえればと切に願う。
posted by キラキラ大島 at 19:34| 京都 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

4周年

 今日は僕ら夫婦の4回目の結婚記念日だ。もう丸4年も経ったのかと、短かったような気もするし、いろいろあったし、長かったなという気もする。

 今もいろいろあって大変だ。大変といってもケンカなどはまったくなくて、奇跡的な仲の良さだと自負している。いいことだね、ありがたいね。何が大変なのかも、何が幸せなのかも、ここに書くことではないと思うし、読まされてもきっと困るだろうから書かないわけだが、このまま毎日を幸せに過ごしていきたい。

 そんな記念日の前日、僕は友人の告別式に出席するために東京にいた。オッサンではあるがまだまだ死ぬには若すぎる。同年代の奥さんを残して死んでいくとは、困ったヤツだ。死人にむち打つつもりは無いが、やっぱり、それはダメだよ。いつまでもコントやってないで早いところ起き上がれよといいたいところだが、それはやはりコントではない。起き上がることなく、棺は火葬場に運ばれてしまった。

 何はなくとも健康だ。心も身体も健康であらねばと思った。太く短くなんていうのは、独り者だけに許された暴言だよ。

 20年、いや30年、家族全員から疎まれるまで、長生きするぞと決意した昨日と、それを神社にお祈りした、今日の記念日だった。
posted by キラキラ大島 at 17:02| 東京 雨| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

セレモニー

 もうすぐ、311だ。

 僕はこの1年、毎月11日の2時46分になるとほぼ必ず「黙祷」していた。ただ黙祷をするのと、ツイッターで「黙祷」とつぶやくのと。たったそれだけだ。ボランティアにも行かないし、寄付もしない。自分に出来ることは限られている。でも、黙祷するくらいは誰にだって、そう、僕にだってできることだった。毎月11日の2時46分に意識をするというだけのことだが、意識をし続けることは、結構大切なことだと思うのだ。

 しかし、今週末に迫った3月11日には、続けてきた黙祷をやめようと思っている。

 なにも、もう過去にしようというのではない。震災と、震災によって起こった原発事故は、決して過去の話ではない。現在進行中の悲劇だ。悲劇が悲劇を生み、僕らは分断されようとしている。どうすれば信頼関係を再構築出来るのだろうかと、その普通のことへの想いは途方も無い奇跡のようにさえ感じられる。それはきっと誰もが思っていることなのだろう。だから「絆」とかの言葉を強調しようとしているのだろう。でもそんな簡単な言葉だけで修復出来るような傷ではない。絆を与えることも、絆を与えられることもいけない。絆を強制するのはもっといけない。絆とは、そういうものだ。

 本質的な何かをなくして、偽善的な悪意を隠すために、絆という言葉は使われているんだと、僕は感じている。だから余計に絆という表面的な言葉に拒否反応が出る。その拒否反応を感じなくて済むような、そんな社会に戻れるのならと思うが、そんなに簡単なことではないのだということもわかっている。わかっているから、絶望的な気持ちにもなる。

 話を戻そう。311だ。この日は各地でいろいろな催しが行われるだろう。京都ではマラソンが行なわれる。1000以上あるお寺では、きっと祈祷の何かが行なわれるだろう。京都に限らず日本中、いや、世界中でなんらかの平和イベントが催されると思う。否が応でも、1年前のあの日のことを思い出さずにはいられないはずだ。すでにテレビ番組は311の追悼モードに入っている。

 でも、そんなモード、嘘っぱちだと僕は感じているのだ。

 1周年の記念(?)日に追悼の気持ちを持てば、あとはいいのか。この日をことさらに大きく取り上げるということは、他の日には忘れてもいいという一種の免罪符になるような気がしてならない。単に僕の穿った思いであればいいのだが、実際はそうではないだろう。この日のあらゆるイベントは、単なるセレモニーになってしまって、それがかえって人々の記憶からあの日を遠いものにしてしまうと、そんな風に僕は感じているのである。

 僕はいろいろなところでこの話をしているから「聞いたよそれ」という人もいるのは重々承知だが、大学生の時に、出席さえしていれば単位が取れる授業があって、僕はその授業が好きだったから毎週行動のような大教室の最前列で講義を聴き、ノートを取っていた。出席表を誰かがまとめて出せば出席になるから、大教室はいつもガラガラ。しかし最終日に、いつも僕がいる席が空いていない。そこを占領していた女子大生たちは終始おしゃべりをしていて、完全に講義の邪魔だった。しかし、講義も終わって最後の瞬間、教授が挨拶すると教室中から拍手が。さっきまでしゃべっていた女子大生たちも拍手。「この瞬間がいいのよね〜」と。僕は拍手をする気になれなかった。普段授業に来さえしないで最後に拍手をしているやつらと同じになりたくなかったからだ。

 別の例えもしたい。野球で10月頃になると優勝の行方が見えてくる。例年なら最下位争いをしているようなチームが稀に優勝したりすることがある。そういう時にどこからか湧いてくるようなファンたちでスタンドは満員になるが、お前ら開幕時にファンだったかと言いたくなる。ずっと応援していたというが、だったら開幕から球場は満員だっただろう。ファンというのはチームが苦しい時にも応援をする人のことであって、良いときだけ喜ぶのはファンとは言えない。

 大学の最終講義も、プロ野球の優勝の瞬間も、それは単なるセレモニーだ。セレモニーに居並ぶ人の大半はその瞬間だけだ。次のイベントが沸き起こればそこに気持ちも身体も移っていく。それが悪いとは言わない。だが、僕はその群れの一人にはなりたくないし、だからその場にはいたくないなと思う。で、311だ。毎月行なっていた黙祷。4月や5月には多くの人が黙祷をしていた。ツイッターのTLにもその瞬間に黙祷の文字が溢れんばかりだった。しかし夏が来て秋が来る中で、その文字は明らかに減っていた。減るのはやむを得ないと思う。人は忘れることで前進のエネルギーを得るものだからだ。いつまでも過去にこだわり続けていてはいけない。黙祷の文字が消えていくということは、それだけ新しい何かに打込んでいる人が増えたということでもある。だからけっしてそのことを哀しんではいけないと思う。

 だとしたら、311の14:46も、みんなは今までの勢いと同じように黙祷の二文字を忘れていっていいのだ。皮肉な意味ではなく、本当に忘れていっていいのだと思う。しかし、1年後ということもあって人々はあのことを思い出すだろう。それをイベントとして煽るようにテレビが特番を組んでいく。そして多くの人が「そんなこともあったな」と思い出して、今まで忘れていた黙祷をすることになるだろう。そのことも、悪いことではないのだ。でも、僕はその並びの中にいたくないと思っている。天の邪鬼なのだな、きっと。でもそういう性分なのだから仕方がない。

 セレモニーは1日で終わる。終われば、またいつもの日々が何事もなかったように始まる。1年経ったその日に黙祷をしたことで免罪符を得た多くの人が、毎月の黙祷のことなどは気にも留めなくなるだろう。そうした411あたりから、またひっそりと黙祷をすればいいのだと思っている。

 黙祷をやめるということで、僕はあの日のことを意識していようと思うのだ。
posted by キラキラ大島 at 15:24| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

雪景色

 夜来の雪はきっと積もるだろう、だって日付が変わる頃にはもうすでに積もっていたのだから。

 前の晩すでにそう確信した僕は、この土日に一歩も外出せず身体を休めようという方針をあっさりと捨て、早起きをして雪降る街に早朝から出ていった。お目当ては、雪の金閣寺である。

 京都が好きになっていろいろな本を読み雑誌を眺め他人のブログに目を通し、ここにも行こうあそこにも行きたいそれもあれも食べてみたいと、まあ情報を漁ってはひとつずつ実現していった。見るべきもの行くべきところが沢山ある京都だから、もちろんまだ全部に行けているわけではないが、それでも押さえるべきところは一通り押さえたつもりである。

 だが、一番見たくてしようがないものをまだ見てはいなかった。それが、雪の金閣寺だ。

 金色の建物と雪の白が作るコントラストが何ともいえない。普段は茶褐色の屋根が雪の白に置き換わる。いろいろな人がブログやTwitterで写真をアップしているのを見た。悔しかった。是非見たいなあ。でもこればかりは容易ではない。雪がいつ降るかなんて、わからないのである。

 京都に旅行するとなると宿も押さえなければいけないし、仕事の都合も付けなきゃいけない。そうやってこの日に行くぞという思いで当日の予定も立てる。行こうと思うところへの期待は高まる。それでも、もし雪が積もるほど降るなら、それら予定のすべてを捨ててまで金閣寺に向かう気持ちは常にあった。だが、降らない。降らなければ見られるはずもない。

 だれかがツイートしているのを見て、とにかく羨ましかった。すぐにでも新幹線に飛び乗り雪の金閣寺を見に行きたいと何度思ったことか。でも、そんなことはなかなか出来ない。JR東海の「そうだ、京都行こう」も、そこまでの思いつきのことを言っているのではないのだ。

 でもこの冬は違う。なんといっても、京都に住んでいるのだから。雪さえ積もればいつだっていける。バスに乗ればすぐだ。仕事の合間に行くことだって出来るよ。

 しかし、なかなか降らない。一度降ったが、積もるほどではなかった。マンションの管理人のおじさんに聞いてみると、最近はあまり積もらないそうだ。年に1度か2度という。京都は夏暑く冬寒いと言われているが、今年は夏もそれほどでもなく、冬もそれほどでもないそうだ。ああ、この冬は無理なのかなあ。なかなか手が届かない、夢の光景なんだなあ。

 でも、昨夜から雪。夜のうちに積もってた。行かねば。身体を休めるなんて言っている場合ではない。

 自宅の最寄りからは1時間に1本のバスで行くのが一番早い。夜のうちに時刻表を調べ、8時53分のバスに乗るために40分に家を出る。停留所までは5分かからないのだが、それ53分に乗り遅れたくないじゃないか。そんなに早く出たにもかかわらず気が急いて、結局10分も雪降る中を待つことに。

 そんなこんなで、ようやく千本今出川に到着。そこからは700メートルで金閣寺だ。入り口には結構人がいる。気持ちがどんどんワクワクしてくる。チケットを買って、細い路地のような部分をとおり、角を曲がると、そこに雪の金閣寺があった。



 ああ、これだ。これが見たかったのだ。池を挟んで金閣の正面の岸に多くの人がいた。みんなカメラで撮影をしている。僕も負けじと撮影する。僕のカメラはiPhoneだ。バシバシ撮る。一通り撮り終えて、自分の眼でもしっかりと見る。綺麗だ。

 家を出る時、まだ雪は舞っていた。だから雪の金閣寺といっても、鼠色の空を背景にした金閣だと思っていた。でも、着いた時には青空が広がっていた。まさにベスト。嬉しいなあ、嬉しいなあ。


 でも、なんかちょっと思ってたのとは違うぞと感じたのだった。それはなぜか。写真を見てもらえば判るとおり、金閣寺の正面からの写真というのは、池を挟んでいる遠景になるため、そこに人が写っていないのが通例である。写真から受ける印象は、だからとても閑静な光景なのだ。しかし、実際そこに行ってみるとすごい人だ。一心不乱に写真を撮っている。いいポジションで撮影したいから押すな押すなの混乱状態になっている。



 この喧噪が、持っていた雪の金閣寺のイメージとはちょっとばかりズレていたのだ。勝手に「しんしんと降る雪が積もる金閣寺に一人、静かにものを思う」ようなイメージを描いていたのだ。まあ、そんなことはないよな。世界でも有数の観光地京都の、中でも横綱級の注目スポット金閣寺だ。そこに雪が降っているとなっては、一人で佇んだりできるわけもないじゃないのだ。それでも勝手に静かな世界を思い込んでいた。バカだなオレ。

 いつも混んでいる清水寺でも、早朝6時の開門時に訪れたらほぼ独り占めすることが出来る。龍安寺の石庭でも、8時の開門時なら5分くらいは独占だ。もしかしたら雪の金閣寺も平日の開門9時ならもっと静寂な雰囲気を味わえるかもしれない。欲深いなオレ。そんなことを思っているうちは、雰囲気が静寂であっても、それに相応しいオレではないのだろうな。

 その後撮った写真をfacebookにアップしたら、それを見た大阪の青年が「これから行きます!」と行って出発したらしい。結局彼が着いたのは4時くらいだったらしく、その頃には金閣を覆っていた雪はほとんど溶け落ちてしまっていた。それくらい見るのが難しい光景だったのだろう。僕のfacebookには50人以上の「いいね」が。世界中の人たちが羨ましがっていた。そうだな、自分の眼で見られただけで幸せ者だ。その幸せを、現地で感じるよりも、facebookのいいねとコメントを見て、強く感じた。ダメだな、オレのこの感受性。精進せねばと思うよ。
posted by キラキラ大島 at 19:21| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月15日

迷いネコ

 職場のビルの窓を開けると、そこは隣りの家の瓦屋根だ。

 その屋根に、ネコが来る。毎日来る。今来ている三毛のネコは2代目だ。昨年5月に引越してきて、まだ雑然と荷物が段ボールで置かれていた頃。初夏なので暑く、空気の入れ替えのためにも窓を開けていた。その窓から首を突っ込んで中をのぞいていた、そんな初代のネコを発見した。そもそもそんなに動物好きではない僕の最初の反応は、とにかくビックリしたというものだった。思わず「わっ、ネコ!あっち行け」と叫んだ。荷物の整理を手伝いにきていた奥さんはなんだなんだと寄ってきて、窓の外で目を丸くしているネコを見た。まあ可愛いと。でも僕はそんなに動物好きではないし、中に入ってきてフンでもされたら困るし、それにここは職場なのだ。賃貸物件でネコを自由に出入りさせているとなったら、退去させられかねないじゃないか。

 だからその窓は以来風通しのために開けられることはなくなった。でも、その窓にネコが毎日やってくる。そして会社の中をじろじろ見ている。こちらからすればヤツはノラ猫だが、ネコからすれば僕らは自分のテリトリーにやってきた新参者だろう。僕らが動物園でオリの中を覗き込むように、ネコはオリの中で活動している人間とやらを観察しているのかもしれない。ヒマだし、なんか珍しいし、ひとつ覗いてみてやるかという具合に。

 初代の屋根ネコは銀色の毛に黒の縞がある、目が青いネコ。これが最初に撮った写真。日付は5月18日だ。

 こいつはすごく気が強い。ガラス越しに指を向けるとすかさずネコパンチで攻撃してくる。ガラスが割れるんじゃないかとビビるくらい。一度奥さんがエサを直接あげようとして、直径3cmほどのお魚せんべいを手にしてネコに伸ばしたことがある。実家で飼っている犬にビーフジャーキー的なエサをあげるときの感覚だった。が、このネコは獲物を襲うような素振りで、右手を一気に伸ばしてシャー!っとやった。奥さんは驚いて素早く手を引いたからよかったものの、ちょっとでも遅れていたらネコ爪の餌食だっただろう。野生ネコと飼い犬との違いを思い知った。

 やがて、別のネコが登場するようになる。白黒のネコだ。6月10日に撮ったこれが最初の写真。

 僕は屋根ネコと区別するために、別ネコとか白黒ネコと呼んだ。こいつはなかなかつかみどころがないネコで、毎日ではなく1週間に1度程度来るだけだ。それでも存在感はすごくて、なんか癒される感じがまったくなかった。その時に、ああ、僕は屋根ネコを好きになっているんだなあと感じたのだった。屋根ネコというのは、もはや名前だった。ここに来るのはこの屋根ネコだけでいい。他のネコまでたくさん集まるようになったら困るとも思った。

 そうこうしているうちに、別のネコが現れた。三毛のネコ。8月1日の写真がこれ。

 これが今窓際にきてくれているネコだ。まだ小さかったんだなあ。当時僕はこいつをちびネコと呼んだ。だって小さいんだもの。屋根ネコが窓際にデデーンと鎮座している横から隙をみて窓際に寄ってくるちびネコ。それでもまだ僕にとっては他のネコでしかなかった。出来ることなら屋根ネコだけにエサあげたい。他のネコに等しくあげようなんて、まったく思っていなかった。

 しかし、突然別れが訪れる。屋根ネコが姿を見せなくなったのだ。これが最後の写真。8月11日のこと。

 毎日のように来てたものが来なくなるって、こういうことなんだと思った。寂しいな。他に行ってしまっただけなのか、それともどこかで死んじゃったのか。それさえわからず、ただ、ここに来なくなった。だから、ここにまたふらりとやってきてくれることを毎日待った。でも、そんなことはなかったのだ。

 近くの神社によくネコが集まるという。そこに行ってみた。するとよく似た柄の赤ちゃんネコが2匹いた。もしかするとこれは屋根ネコの子供ではないか、赤ちゃんがここにいるから、屋根ネコも屋根に来たりするヒマがなくなったんではないか。そう思うと、来なくなった理由も納得出来る。もちろん屋根ネコはそこにはいないし、だから赤ちゃんネコたちが屋根ネコの子供という確信もない。ただ、オドオドしながら建物の間に逃げて行く赤ちゃんネコの後ろ姿を見送るしかなかったのだ。

 それからしばらく、会社はずいぶん静かだった。屋根ネコどころか、白黒ネコもちびネコも来なくなっていたからだ。

 それでも毎日、この窓のブラインドを開けていた。いつかまた来てくれるんじゃないかって思って。そうしたら、現れた。ちびネコだ。9月15日のこと。

 1ヶ月以上もどこにいっていたのだろう。それでも、ちびネコはここに再び来てくれた。よほど嬉しかったのだろう、僕はその日ネコの写真を137枚も撮っている。あまりの連写に、パラパラ動画が出来るんじゃないかというほどだ。

 以来、三毛のちびネコは毎日のように窓にやってくる。何が面白いのか、日がな一日ずっといることもある。中を覗いたり、居眠りしたりしながらだ。僕が窓の近くに行くとニャアニャア鳴く。窓を開けても1mほど遠くに逃げて、こちらを眺めるばかりだ。窓を閉めるとまた窓際にやってきて居眠りしてる。

 それからもう5ヶ月が過ぎようとしている。まるで飼い猫のようにこいつは会社の一部だが、それでもやはりノラ猫なのだ。プイといつ来なくなるかもわからない。そのことは屋根ネコのことで理解しているつもりだ。当時僕は屋根ネコと呼びながら、それを単なる屋根のネコという意味ではなく、固有の名前のように思って呼んでいた。だからその後にどんなネコが来ても、それは屋根ネコであって屋根ネコではない。今来てくれている三毛ネコのことは「ネコちゃん」と呼んでいる。これは、名前ではない。名前をつけて呼ぶようになると、もしいなくなった時に、きっと悲しい思いをすると思うから。

 
 こうして僕はネコとの日々を送っている。ネコはどうしてここに来るのだろうか。そんなことを毎日考えたりしている。ノラ猫は、英語でいうとストレイキャットだ。 stray cat 。直訳すると迷いネコ、さまよいネコ。日本では外で生活しているネコということで野良猫なのだが、英語圏の人にとって野良猫はさまよっているネコということなのだろう。そうだな、その方が正しいかもしれないなと、僕は最近思う。

 ネコにはネコの世界があって、たまたまこの屋根という場所を発見したのだ。そしてこの屋根の上で中を眺めながら過ごすという日々をネコちゃんは過ごしている。それに飽きたらまた別のところへ行くだろう。人間も同じような気がする。好きなことをし、好きなものを食べ、好きな場所で好きな人と暮らす。自由な生き方をすればそれだけ苦労もあるだろうが、僕はそういうのが好きだ。野良猫が自由にさまようといったって、京都の屋根で暮らしているネコがニューヨークやパリに行けないように、僕らの自由な暮らしだって、出来ることの範囲はそれなりに決まっている。破天荒なストーリーのような人生などには決してならない。それでも、ネコが窓にやってくるように、僕は自分の意思で毎日を過ごしているし、それでいいと思っている。

 もしも生まれ変わることがあって、その時ネコになるのだとしたら、僕は誰かに飼われるネコじゃなく、雨露をしのぐのもひと苦労な野良猫になりたい。たとえ野良猫の寿命が飼い猫よりもかなり短いとしても、好きな時に好きなところへ行けるノラになりたい。その方がいいって、今は思う。本当はそんなに遠くに行けないのだとしてもだ。
posted by キラキラ大島 at 18:01| 東京 曇り| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月30日

前へ

 ネットでこういう画像を見た。



 「右でも左でもなく、前を選ぶ。」

 素敵なコピーだ。本当に素敵か?だが、心に引っかかったのは事実だ。今度の日曜日が京都市長選挙だ。京都は伝統的に革新が強い地域で、現在も市議会の第2勢力は共産党だ。昔は、京都の人たちはそんなに共産党に票を投じるなんてバカじゃないのかと思っていた。まだ自民党が最強だった時代のことである。

 しかし今、自民も民主もこの体たらくという現実を目の前にして、京都に越して来て始めての選挙で僕はどうすればいいのか正直戸惑っている。今回の選挙ではいずれも無所属といいながら、自民・民主などの推薦を受けた候補と共産の推薦を受けた候補の一騎打ちとなっている。僕の中には共産へのアレルギーがある。冷戦時代に青春時代を送った世代には結構共通する感情なのではないだろうか。まあ他人のことはさておき、僕自身にはそういうものがある。紛れも無い事実だ。そんな僕が、自民民主推薦の候補と共産推薦の候補が出ている選挙で、なぜ悩まなければいけないのか。そのことに強い憤りを覚えてもいる。なんでだ。なんでなんだ。

 そんなところに「右でも左でもなく、前を選ぶ」である。これには正直ガツンとやられた思いだった。

 門川氏という人と、中村氏という人と、その人物のことなどはほとんど知らない。知っているのはどこが推薦しているのかということだけだ。それで選ぶということは、冷戦以前のイデオロギーを選ぶということに他ならない。ベルリンの壁が崩壊して20年以上が過ぎているというのに、それなのに僕らの多くは東西冷戦のイデオロギーを軸にして何かを決めようとしている。本物の壁はとうに崩壊しているというのに、僕らの心の中にはまだ固くてしぶとい壁が立っているのではないだろうか。恐ろしいことだ。だが、三つ子の魂百までだ。なかなか変わらない。そう簡単なことではないのだ。だから悩む。20年以上前の価値観と、現実の目の前の出来事。それが交錯する時に、なにを選ぶべきなのか、何を捨て去るべきなのか。簡単なことではない。口では守旧派とか既得権益打破とか言っているくせに、心の中の価値観はそう簡単に変わるものではないのだ。

 そんなところに「右でも左でもなく、前を選ぶ」である。このポスターは京建労左京支部というところが作ったものである。ここのHPを見ればわかる通り、この団体は中村氏を支持しているようだ。このポスターには誰に入れろとか書いていないし、そもそもどこが作ったポスターなのかも書いていない。投票へ行こうU45プロジェクトとだけある。現在多くの選挙で、年寄りはほとんど投票して若者はほとんど投票しないという傾向が強い。そういう傾向によってどの党が有利とかどの候補者が有利とか、そういう傾向も分析によって顕著に出る。だから中村氏を応援する勢力にとっては、若者の投票率が上がることが有利に働くという分析結果が(僕には正確なところはわからないけれど)あるのだろうと思うし、だからこのようなポスターやキャッチコピーが展開されているんだろうと思う。

 以前なら、姑息だなと思ったりもしただろう。しかし、今回ばかりはそれを姑息などと思わない、思えないのだ。なぜか。それは国民が投票に行くのは至極当然のことだし、理想としては全有権者の投票によって出た結論が民意であるし、だから一人でも多くの人の投票を呼びかけるのはまったく正しいことだからだ。そして、20年遅れの右対左というイデオロギーを軸に未来を語ることもまったくのナンセンスなのだ。そのことを呼び起こしてくれるこのポスターは、実に清々しい気持ちにさえさせてくれるものだったのだ。

 前回の衆議院選挙では、僕は東京1区の有権者だった。民主・海江田万里vs自民・与謝野馨の選挙区だ。結果としては海江田万里が当選し、与謝野馨は比例で復活した。しかしその後与謝野は自民を離党し少数政党に参加し、あろうことかそこも離脱して菅内閣で大臣になった。海江田も与謝野も大臣だ。では東京1区の有権者は何を選んだのだろうか?選択権など無かったも同然ではないか。そんな姑息な政治行動をたくさん見てきた。その結果こういう時代の絶望的な状況が広がっている。

 冷戦イデオロギー時代に盛んに言われてきたのは、共産党や社会党に政権を渡したらソ連のような社会主義国家になる、全体主義国家になるというものだった。それは恐ろしいなと思った。秘密警察にシベリア送り。ソルジェニーツィンの本を読んだだろう。自由なんて無い社会になったらおしまいだと思った。だが、ソ連は崩壊した。で、日本は世界でもっとも成功した社会主義国家と揶揄されるようになった。あれだけ左翼批判していた自民党が社会党党首を総理大臣に担いだ。秘密警察なんかではない、日本の司法制度が決して公平公正ではないということも周知の状況になった。鈴木宗男も収監された。ホリエモンは今も塀の中だ。小沢一郎起訴され係争中である。僕らは何のために共産党を恐れ、アレルギーを抱えていたのだろうか。その代わりに選んできた政治は何を僕らに与えてくれたのだろうか。何のためだったんだろうか。

 ちょっと前の大阪市長選。橋本市長が当選したわけだが、橋下氏が優れているのかどうかはまだ判らない。だが、前に行こうとしているのはよくわかる。激しい非難やスキャンダルまで登場して彼の当選を阻止しようとしている勢力があるのも知っている。僕が思うに、彼らは前に行ってもらっては困ると思っているんだと思う。前に進むというのは、未知の世界に進むということである。それは誰もが恐い。先日の朝まで生テレビで橋本市長と対決していた人たちの話を聞いていると反吐が出た。要約すると「大阪は東京と競争なんてしたら疲れるから止めておこう」である。なんだそれは。そうして停滞すればいいと思っているのか。それでは確実に日本は沈む。そんなことでいいわけがない。今の悪い何かを改善していかなければ、多少の痛みを伴ってでもそうしなければ、この社会は腐るのだ。もちろん一歩前に何があるのかなど誰にもわからない。橋下氏の描く未来が誰にとってもバラ色であるわけが無い。それでも進まなければ仕方ないのだ。民主は小沢氏の動きを封じて官僚の言いなりになりこれまでの社会を維持しようとしている。自民は単に民主の反対をしているだけで何のビジョンも示さない。もうそんなのにはうんざりなのだ。そこに出てきたのは前に進もうというタレント弁護士だ。タレント議員に将来を賭けるのが不安でないはずがない。それでも、前に進むという選択肢を僕らに突きつけているのは彼しかいないのだ。だから彼を選ぶしかないというのは必然でもある。それを本当に危惧する人は、彼の足を引っ張ることではなく、彼を超える明快なビジョンをもって対抗する以外にはない。だが、政治のプロフェッショナルである人たちが軒並み対立候補の陣営を押した。徒党を組んで反対に回り、これまでのやり方を踏襲するのがいいと言った。これでは闘えないよ。仮にその結果がファシズムになったとしても(絶対にそうはならないと確信するけど)、ファシズムに導いているのは単に橋下氏の維新の会だけなのではない。それへの明確な対抗軸となる「前へ」向かったビジョンを示せない既存政党にもその責任の一端はあるのだ。

 来週の京都市長選に戻るが、過去の歴史でも10年を超える革新系市長がいた街で、今回対決する右対左。そこに維新が候補を出していたら間違いなく雪崩を打っただろう。しかし現実はそうではないのだ。やはり右対左が対立する今回の選挙で、僕はいくつかの公約を見ながら、自分なりの答えを出そうと思う。今、いくつかの論点において後出しでそのことを言い出したとかいう感じの論戦になっているようだ。先に言った後から言ったという問題は確かにある。だが先に言ったからといってそこに実行力があるのか、それが問題になる前からの持論だったのかなど、単純に言葉だけで信じられるわけではない。マニフェストとやらがいかに簡単に反古にされるのかはこれまでの経験で嫌という程思い知らされてきている。だから簡単に言葉の上っ面で選ぶということではないよ。簡単じゃないね。でも、それでも僕らは何かを選ばなければいけないのだ。選ぶということで、次の発言権をようやく得られるんだと思う。そうじゃなければ、この街が、この国が、どのようになったって文句など言えない。白紙委任した人に発言権なんてあるわけがないのだ。

 だから、僕は何かを選ぶよ。それは古くさいイデオロギーなんかを振り払った現代の価値観で、右でも左でもなく、前を選ぶということだ。100%の前進でなくても、ちょっとだけでも前に進みそうな何かを。このポスターを作った団体の思惑に載せられることも無く、でもこのポスターにあるキャッチコピーの精神だけは尊重しながら。
posted by キラキラ大島 at 13:38| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

土地に縛られるということについて

 僕はこのテーマについてこの半月ほどいろいろ考えて、何度か文章を書いては途中で違うなと感じ、自分の文章力の無さに、そして自分の考えを整理する力の無さに、ほとほと愛想が尽きかけている。だがきっとそんなに簡単に納得できる文章になるとは思えないし、それにばかり拘泥していても前に進めないので、とりあえず書き終えてみたいと思っている。だから、いい加減で中途半端なことになってしまうだろうが、それは仕方のないことなのだ。そのことを予め断っておきたい。反論やツッコミは多いに結構。ただ、突っ込まれたところでちゃんと返す自信などさっぱりないんだということは、断っておきたい。


 さて、どういうことかというと、福島での放射能汚染のことだ。僕ははっきりいってあの場所で生活をするのは危険だと思っている。その福島の人たちには同情の念を持つものの、じゃあ何が出来るのかというと何も出来やしない。自分のことで精一杯だというのが正直なところだ。このことを言っておかないと、何を言っても空言のように自分で感じて、それで文章は止まっていたんだと思う。

 で、福島が危険だと思いながらもそこに住んでいる人たちというのは沢山いるんじゃないだろうかと想像する。その人たちはいろいろな理由で移動できずにいるのだろう。仕事の問題、経済の問題ももちろんあるだろう。それ以外に、土地というものの魔力もあるんじゃないかなと、僕は感じている。

 福島以外の人たちが、福島の人を支援したいと言っている。その支援の仕方は様々だ。作物を食べて応援、産物を買って応援、除染で応援、寄付で応援、いろいろだ。本当にいろいろだ。僕なんかが把握していない方法もきっと沢山あるだろう。だが、福島の人が他所に移り住んだとした時に、その場所は彼らを受け入れるのだろうか。いや、それはかなり難しいのではないだろうかという気がするのだ。

 受け入れるというのは、単に住ませてくれるかどうかではない。そこで生きていくための、コミュニティに参加させていくかということである。知らない土地にいけば、土地勘もないし、言葉も違う。基本的な生活をするための基本知識が決定的に欠けている。友人だっていない。そういう人が自分の街にやってきた時に、孤独を感じさせず、疎外感を感じさせず、スムーズに社会に溶け込んでいくための配慮ができるのかということだ。「軒先に住みな、その先は勝手に努力しなよ」というのでは、生きるための条件にハンデがある。

 これは結婚なんかにも似ていると思う。子供が結婚した時に、親はどういう態度を取るべきなのか。娘に旦那がやってきた時に、その旦那を「娘の旦那」と捉えるか、「自分の息子」と受け入れるか、それによって親子関係はまったく変わってくるだろう。娘の旦那と思っている間は、まだまだ受け入れていないのだと思う。自分の子供なら、多少の欠点どころか大きな問題を抱えていても自分の問題として一緒に悩めるだろう。しかし娘の旦那と思っている間は、大切な娘を幸せにしてくれる完璧な存在でなければ許せない。その差は紙一重のようで、実際は宇宙の果てくらいに遠い距離だ。もちろん娘の旦那としては欠点のない完璧な旦那になれるように努力すべきだが、いくら努力しても人間は完璧になどなれない。その僅かな瑕疵を批判されるようでは、やはり親子関係はうまくいくはずなどない。土地が他所者を受け入れるというのは、東京のように街全体が無関心の街になるか、そうでなければ他所者をその街で生まれた人と同じとして受け入れるかどちらかだ。大都会東京でなければ前者になることは不可能だ。だとすれば、後者以外には有り得ない。それは実はとても難しいことなのだと思うし、今僕らが絆なんて言葉を簡単に使うのであれば、その難しいことを覚悟していくより他にはないのだと思う。

 平時であったら好きなところに移住するのは個々人の勝手であるから、慣れない土地に順応する努力は各自が行なうべきである。しかし、今は平時ではない。では数百万という人たちが福島を離れてきたとして、自分の街にやってきたとしたら、その時に自分たちは街を挙げて受け入れることが出来るのか、その覚悟があるのか。それは、どの街にもきっとないのだろうと思う。食べて応援は、今居る場所でこれからも作物を育ててねということである。産物を買って応援は、今居る場所でこれからもものを作り続けてねということである。汚染されたその場所でこれからも暮らしなさいである。異論が沢山あるのは承知だ。僕もそれほどに原理的にこのことを言っているのではない。しかし、根本的にはそういうことがあるのではないかということは、実際に思っている。火事が起きている家の人に消化器を送ったりするのは、それで消せよということであって、逃げろではない。燃えている工場の従業員に「製品を買うから頑張って」というのもやはり「逃げずに物を作り続けろ」である。安全な場所に避難しろではけっしてない。

 火事が起きている家の人には、とにかく今は逃げろというべきだと思っている。その家には思い出がたくさん詰まっているだろう。子供の身長が刻まれた柱があるだろう。先祖の仏壇があるだろう。記念写真も沢山あるだろう。それらがすべて燃えたとしても、人の命が優先だ。それを取りに炎の中に飛び込もうとする人がいたら、羽交い締めにして静止するのが誠意だ。大津波で仏壇の位牌を取りに行った人がどうなったか、僕らはみんな知っているはず。だが、放射能汚染についてはなかなかそういう世論にはならない。むしろ火の中でも暮らせるように防火の服を送りますよっていう印象だ。

 なぜか。それは僕らが今燃えている家の住民を自分の家に避難させる覚悟など持ち合わせていないからだ。

 あくまで、放射能汚染は福島だけのことだと思って、あちらの火事、こちらは燃えていないと理解している人がいる。その一方で、汚染は福島に留まっているのではない、すでに今この場所も燃えているのだと理解している人もいる。そういう理解の違いが、人々に対立を生んでいるように思うのだ。

 先日、僕は知り合いに自分の食べようとしているものを勧めたことがある。僕自身はかなり食べ物にも気をつけている方だと思っている。だから自分の食べているものはかなりの確度で安全だと思っている。しかし、その人は怪訝な顔をした。安全だとは思っていなかったのだ。その時に、僕はかなりハッとした。これが、理解の違いなのだ。

 僕の基準では、それは安全な食べ物だった。しかし、その人にとっては不安な食べ物だったのだ。僕はその怪訝な顔を見て、一瞬ムッとした。自分自身が信用されていないような気分になった。しかしすぐにそれは違うんだと思った。なぜなら、安心を感じる基準や情報というものは人によって全部違うからだ。僕が食べない食品を食べている人もいる。その人は僕の態度にムッとするのだろう。なんてやつだと思うのだろう。思われたからといって、自分がそれを食べるつもりもないし、義務もない。自分は自分で考えて行動するしかない。強制される謂れなどはまったくない。だとしたら、別の誰かが自分が食べているものを食べようとしないからといって、そこに対してムッとするのは完全に間違いだ。だがそういう体験を身近な人との間でしないとそのことがわからない。わからないと、結果的に間違った行動や態度を取ってしまう。取った後もまだそのことが間違いであることにさえ気付かずにいる。それが、覚悟のない状態なのだと僕は思う。いろいろな人の多様な価値観を認めるというのは、ともすれば自分の価値観を否定することにもつながるような錯覚を覚える。だから難しいのだと思う。

 絆は、いい。だがそれが多様な価値観の存在を互いに認め、それぞれが尊重し合っていくということをすべて取っ払って、たったひとつの価値観をすべての人に強制するようなことであったなら、それはやっぱり間違いなのだと思う。もちろん情報の不足によって誤った判断をしてしまうことは誰にもあるし、それは価値観ではないから話し合うことで共通理解を深めればいい。黒いものは黒いもの、白いものは白いものでいいのだ。しかし、最後の最後で個々が価値観によって判断すべきことというのは絶対にある。この犬が可愛いか可愛くないのかは判断である。ジェットコースターが恐いのか恐くないのかは判断である。安全とは別の恐怖というものがあって、恐怖するかどうかは個々の自由だ。それをも強制するのは、もはや文明社会のやるべきことではない。絶対に違う。

 
 結局、何が何だか判らなくなってきた。この半月ほどこういうことの繰り返しである。でも続けよう。そしてそろそろまとめよう。次に進むためだ。


 先日、あるつぶやきが目に入った。「「福島と東北だけ勝手に滅んでください」にアカウント名を変えたらどうですか。」というものだ。それなりに著名な編集者のツイートだ。瓦礫の処理を全国の自治体が受け入れていることに懸念を持っている人の「日本国土全体、日本人全体に放射能のリスクを均等に被れということでしょうか?乱暴では?」という言葉に反応したものだった。

 どうしてこんな対立が生まれているのだろう。僕はそのことが気がかりなのである。

 処理すべき瓦礫は福島のものだけではない。むしろ岩手や仙台の海岸近くでの瓦礫が問題になっていて、多くは放射能汚染されているわけではない。だから安心だと多くの人がいう。それはその通りだと思う。しかし、では100%安全なのかというと、その保証はどこにもない。だから多くの人が反対しているのだ。処理場で燃やすと濃縮され、放射性廃棄物になるという。関東の処理場でもそういう廃棄物が溜まって、どこにも持って行くことが出来なくなって、今後処理を続けることも難しくなっている施設があるという。そういうニュースを見るにつけ、関東でそれなら、瓦礫がそうじゃないと誰がいえるんだという不安は当然のことだろう。燃やして、廃棄物はどうするんだとか、煙となって漏れるんじゃないかとか、不安は多い。

 それでも瓦礫はどうにかしなければいけないのだろうし、だから全国の自治体が処理を引き受けるということなのだろう。それを拒否する人に対して、件の「「福島と東北だけ勝手に滅んでください」にアカウント名を変えたらどうですか。」という発言につながるんだろうと思う。要するに、その編集者は「瓦礫を福島と東北に押し付けるな」ということなのだろうと思う。だが瓦礫を懸念している人たちは「瓦礫を全国に押し付けるな」ということで懸念しているのである。要するにどちらも同じ。どちらかが正しくてどちらかが間違いなのではない。事実認定ではなく、価値観でもなく、それ以前の、堂々巡りに過ぎない。それが起きているのは、福島という土地を福島の人だけのもので、福島の人は福島という土地にしか住んではいけないという固定観念があるからなのではないだろうかと、僕は思うのだ。

 ある家が火事で燃えたら、そこの住民を隣の家の人が助けてもいいだろう。地震で多くの家が倒壊したら、地域の体育館に避難して、自治体がサポートするだろう。では県単位で被災したら、そしてその被災は簡単に元に戻る種類のものではなかったら、その人たちはどこでサポートするべきなのか。僕は、それは日本全体で引き受けるべきだと思うのだ。瓦礫を受け入れて全国的に汚染を広げるのではなく、今福島やその他の汚染が深刻な地域にいる人たちを、安心してくらせる場所に受け入れるということ。それが簡単じゃないのはもちろんだ。残りたいと本気で思っている人たちは当然残ればいいと思う。しかし、その人たちが残るために一定規模の人が生活してものが流通することが必要だからといって、不安な人をそこに留めるのは間違いだ。そして、移り住んだ先でもそれまでとあまり変わりなく生きていける環境を、全国の人たちがどうやって作っていけるのか、そのことが問われているんじゃないかと思うのだ。それはとても難しいことで、実現困難なくらいに妄想に近い理想に過ぎないから、結局ほとんどの人が放射能のことから意識を逸らしてそれまでの暮らしを続けるしかない現実があるのだ。だから瓦礫も全国に広がって、多少の別はあれ、汚染も全国に広まってしまうのだと思う。

 そういう現実とは、自分が別の立場になった場合はどうなんだろうかということについての想像力が欠如しているという、そのことの現れなのではないだろうか。
posted by キラキラ大島 at 18:21| 東京 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする